「Story」vol.9 凉松育子

活水高等学校教諭
国立音楽大学 音楽学部音楽文化デザイン学科卒 2011年度奨学生(OB)
少年時代の出会いが、振り返ってみるとその後の人生に大きな影響を及ぼしていたという例は少なくない。

 この春に大学院を修了し母校である活水中学・高等学校にて教職を務める凉松育子も、小学校時代の先生との出会いから、恩師の後を追うかのように音楽教師の道を選んだ。
「母もピアノを弾いていて、私も小さい頃から合唱団に入ったりピアノを習ったりしていました」という凉松が、真に音楽の楽しさに目覚めたのは小学校4年生のときに一人の先生と出会ったからだと振り返る。

先生が曲を作る姿をみていて作曲って面白そうだなと

 「音楽を好きになった初めのきっかけは、小学校4年生の担任で音楽を専門として教えている先生でした」
その先生が担任を受け持ったクラスは、「音楽物語」と呼ばれるプロジェクトに取り組む。
「生徒が物語や歌詞を書いて、それに先生が曲をつけます。歌詞を考えたり実際に曲を合奏するのも楽しいですが、そのときに先生が曲を作る姿をみていて作曲って面白そうだなと思いました」
創作に興味を持った彼女に、先生は作曲のソフトウェアをプレゼント。貰ったソフトを使ってパソコンで簡単なメロディを作ったことで、音作りの世界へと誘われていったという。
 この年には市の音楽発表会でピアノのソロも担当。
「合奏曲だったのですが、少しだけソロのパートもあり、大きなホールで演奏する楽しさを感じました。演奏した曲は実際は難しい曲なのですが、4年生でも演奏できるように先生が編曲して下さったことで、無事に演奏できたときの楽しさと満足感も実感することができました」

 この後、中学で活水に入学。高校を卒業するまでの6年間の青春時代を過ごした。
「とても充実した学校生活でした。特に高校では音楽コースに所属し、楽しい中でも友人たちとお互いを高めあって日々を過ごしていました」
音楽を専攻したと聞けば、演奏することを想像しがちだが、中学2年生の担任から音楽学という音楽を研究する分野があることを教えられた。
「演奏することも面白さがありますが、小学生の頃から勉強したり何かを調べたりして書くことも好きだったので、それを音楽の分野でもできると聞いて興味が湧きました。」
物事の本質を突き詰めていく音楽学は、凉松が好きな「音楽」と「研究」が融合したもので、正に彼女にぴったりの学問だった。

学ぶということは考え方の過程や思考を養っていくもの

 高校時代にはピアノ実技において長崎県の音楽コンクールで金賞に選ばれるなど、多くの受賞歴があり確かな実積を重ねてきた凉松ならば、演奏家の道に進むこともできたであろうが、彼女が選んだ道は音楽を学問として研究し、教師として子どもたちに音楽を教えることであった。
高校卒業後は、国立音楽大学音楽学部音楽文化デザイン学科音楽研究専修に入学。
「音楽とは何か」という音楽の根源を考えたという。
小学校から音楽を学ぶが、それがどのように人生の役に立つかがよくわからないまま学んでいる学生は少なくない。

−なぜ、音楽を学ぶのか?

「芸術的な感覚や感受性は、数学など5教科だけの勉強で学ぶのは難しいと思います。私は、どの教科の勉強も好きだったのですが、机上の勉強だけだと息が詰まってしまう人もいると思います。音楽だけではなく、本を読む、絵を見るなどして自分の世界を広げることで、様々な視点があることを知って自分なりの表現方法を見つけていくことができます。例えば、同じ歌を歌うにしても人それぞれで違ってきますし、リコーダーの演奏もそうです。音楽や美術といった教科では、自分を主体的に表現する機会が与えられているのだと思います。芸術作品を観て何かを感じとったり、音楽を聴くことで心の豊かさが養われていきます。音楽に限らず、学ぶということは考え方の過程や思考を養っていくものだとも思います」
「また、日本の伝統芸能や世界の諸民族の音楽に触れることで、世界を知ることもできます。その地域の音楽を知ることは、その土地の文化や考え方を知ることにつながります。音楽から新たな社会の見方を発見できるのです」
音楽を学ぶことで世界が見えてくるとは、音楽の研究を専門とした凉松らしい答えである。

上京したことで、地元長崎の良さを再発見

 大学院では、日本の3大中華街(横浜、神戸、長崎)での芸能・音楽伝承の実態と中華街の街づくりとの関係性を研究した。
「音楽という一つのカテゴリーの中でも、そこには社会的・歴史的背景が深く関わってきます。クラシック音楽も同じですが、そこを深く掘り下げることで、その音楽自体のみならず、その音楽が生まれた土地やその地域の民族性を考えていくことにつながっていきます」
音楽という枠を飛び越して、地理、歴史、文化、言語、民俗学、宗教などのジャンルに触れ、多様な考え方を身につけてきた。
 卒業論文では「長崎における中国系芸能とその音楽 ―龍踊を中心に―」と題して、長崎の龍踊と中国獅子舞を取り上げた。
大学卒業後は特待生として大学院に進学。
この卒業論文や大学4年間の成績も評価され、音楽研究専修の主席として奨励金も与えられている。

 大学2年生のとき、江戸時代から明治時代にかけて日本で流行した中国の明・清代の音楽である明清楽の存在を知った。
そのレポートを書いている最中に、長崎の文化における中国との関係性に興味を抱き、芸能や音楽を通じて故郷長崎と中国との歴史や文化を調査していくにつれ、長崎の魅力を再発見し、思いを強くしたのだという。
「上京したことで、地元長崎の良さを再発見して、大学院を終えてからは故郷に戻ってきて子どもたちを教えたいと思いました」
 現在、凉松は母校の活水中学・高等学校で音楽を教えている。
「生徒と一緒に成長していくものかもしれませんが、その中でもこちらが先をいって、全てをわかった上で指導をしていきたいと思っています。生徒の手本となるように行動に気をつけて、授業の予習復習だけでなく、あらゆる方面にアンテナを張ることで、様々な知識を得て、生徒たちにわかりやすく伝えていきたいです。」
「子どもたちには、品の良い言葉遣いをして欲しいと思っています。最近はテレビなどでもそれはどうかなと思うような言葉が使われていたりするので、気に掛けて丁寧な言葉で話すようにしています。一個人の考えですが、言葉遣いが汚いと心が荒んでいくような気がするので、着物を着たときに背筋が自然と伸びるように、綺麗な言葉で話すことは普段の姿勢にもつながっていくと思います」

 放課後の校舎では遠く、生徒たちの奏でる調べや明るい笑い声が聞こえてきた。
音楽コースがあるためか自然、部活動も盛んだ。
 凉松はこれまで自分に大きな影響を与えてくれた先生のように、今度は凉松自身が生徒たちひとりひとりの人生に良い影響をもたらし、彼女らが明るい未来を選択できるように手助けしていきたいという。
「1時間の授業をしたときに、生徒たちに達成感や楽しさを感じさせることのできる先生を目指しています。音楽をはじめとしてこういった“芸術”を良いなと感じて、生徒の人生をより豊かにしていくようにできる教師になるのが目標です」
穏やかな語り口ながらも強い信念がうかがえる。
 我々が音楽によって学び得る答えはひとつではない。
音楽から広がる世界が育む教養と感性が導く先には、連綿として明日を紡ぐ力があるのだと、認識をあらたにした。

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